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東京高等裁判所 昭和56年(う)1404号 判決

理由

弁護人及び被告人の控訴趣意中事実誤認を主張する論旨について

所論は、要するに、原判決は、本件犯行当時本件駐車禁止の道路標識が確認可能な状態にあつた旨認定判示し、これを前提として、被告人が故意に本件駐車禁止違反を犯した旨の原判示罪となるべき事実を認定したが、当時右道路標識は樹木の枝葉に覆われてその内容を認識できない状態にあり、そのため被告人は本件現場道路が駐車禁止の道路であることに気付かないで自動車を駐車させたのであるから、被告人が故意に駐車禁止違反の罪を犯したと認定した原判決は事実を誤認したものであるというのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討すると、被告人提出にかかる現場写真(請求番号1中の写真×印のもの)は本件違反後約一か月以内に撮影されたもので、右違反時における本件道路標識の設置状態及びその付近の樹木の枝葉の状態をほぼ正確に表しているものと認められるところ、本件道路標識の視認状況については、同写真によれば、道路左脇の塀に近接して同標識に対面すると、標識部分が塀の内側から張り出した樹木の枝葉にさえぎられてその内容を確認できない状態であることが認められるが、同写真によれば、樹木の枝葉のうち、本件道路標識に密着することにより視界を妨げているのは一部で、多くはその手前に張り出すことによつて視界を妨げているに過ぎないことが認められるから、このような樹木の枝葉と標識との位置関係等に徴すると、標識を見る位置を道路中央寄りに移し、右側ハンドルの自動車の運転者の視角からこれを見れば、樹木の枝葉にさえぎられる部分が減少し、標識の内容を視認することが十分可能な状態であつたものと推認される。すなわち、所論のように、同標識が視認不可能であつたとまでは認められず、同標識による規制はなお有効であつたというべきであるから、被告人が駐車違反を犯したとの事実はこれを肯認することができる。しかしながら、被告人が故意に右違反を犯したか否かの点については、これを肯認すべき証拠としては、被告人が本件道路標識の近くに自動車を駐車させたという客観的事実があるのみである。ところが、被告人は、右犯意の点を争い、本件標識が樹木の枝葉に妨げられて見にくい状態であつたうえ、本件現場道路が実家の近くで、直前に実家に帰つた時までは駐車禁止の規制がされていなかつたことをよく知つていたため、同標識が駐車禁止の規制標識であるとは思わず、原判示場所に自動車を駐車させた旨弁解しているところ、前記のように本件道路標識が見易いとはいえない状態であつたこと、本件駐車禁止の規制は、本件の約三か月前の昭和五三年五月二三日から実施されたこと、本件違反場所のすぐ近くに被告人の実家があること等被告人の右弁解を裏付ける事実が存在し、右弁解は一概には排斥し難いところである。そうすると、前記駐車違反の客観的事実のみから、被告人が故意に右違反を犯したと断定するのは困難であり、これを肯認した原判決は事実を誤認したものといわなければならない。そして、右誤認が判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は結局理由がある。

そうすると、原判決は、その余の控訴趣意について判断するまでもなく、破棄を免れ難いから、刑訴法三九七条一項、三八二条により原判決を破棄し、刑訴法四〇〇条但書により自判することとするが、右に述べてきたところから明らかなとおり、本位的訴因についてはこれを認めるに足りないので、予備的訴因について次のとおり判決する(なお、駐車違反の反則行為は故意過失を問わず成立しかつ同一の種別に属するものであるから、本件予備的訴因についても既に反則行為の種別等について告知、通告の機会を経由していることが明らかであつて訴訟条件の欠缺はない。)。

(罪となるべき事実)

被告人は、警察署長の許可がないのに、昭和五三年八月二六日午前一一時一八分頃から同日午前一一時五五分頃までの間、千葉県公安委員会が道路標識によつて駐車禁止の場所と指定した市川市本北方一丁目二八番地付近道路に、過失によりこれに気付かないで普通貨物自動車を駐車したものである。〈以下、省略〉

(海老原震一 杉山英巳 浜井一夫)

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